羽生結弦両親の職業と離婚説の真相は⁉︎ブログポプラとは一体何?

ソチオリンピック・平昌オリンピックと2大会連続で優勝に輝いた羽生結弦選手。

男子シングルス種目では66年ぶりとなる4人目の偉業を成し遂げられ歴史にその名を残されました。

そんなフィギアスケート界を代表する羽生結弦選手の経歴や両親についてみていきたいと思います。

スポンサーリンク




羽生結弦シーズン成績でみる経歴

羽生結弦(はにゅう ゆづる)

  • 【生年月日】1994年12月7日(23歳)
  • 【出身】宮城県仙台市泉区
  • 【身長/体重】172cm/57kg
  • 【血液型】B型
  • 【職業】フィギアスケート選手

【所属】

  • 全日本空輸(ANA)
  • クリケット・クラブ(トロント)

【経歴】

  • 仙台市立七北田小学校→仙台市立七北田中学校→東北高校→早稲田大学人間科学部

今や世界トップ選手の1人である羽生結弦選手。

「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい」

という父の想いから結弦という名前がつけられました。

羽生結弦選手がスケートを始めた当初のきっかけは「喘息を克服する」ということが目的でした。

しかし、五輪金メダリスト・清水宏保さんに会いスケートを続けていくための助言を得た羽生結弦選手。

影響を受けた選手としてはエフゲニー・プルシェンコ選手、ハビエル・フェルナンデス選手らに最も影響を受けていたそうです。

羽生結弦選手は4歳でスケートを始めますが、友達と遊びたい時期にも辛い練習でスケートが嫌になることもあった羽生結弦選手。

しかし、好きで始めたことに屈したくはないと練習を辞めませんでした。

すると2004年10月に出場した全日本ノービスで優勝し、9歳にして初めての「金メダル」を獲得しました。

しかし、優勝後にはスケートリンクの閉鎖などで練習時間なども削られ伸び悩む時期が訪れてしまいました。

辞めていく仲間が多くいる中で2006年トリノオリンピックが開催されました。

そこで、荒川静香さんが日本人として初となる金メダルを獲得されました。

荒川静香さんの優勝でフィギアスケートが盛り上がりをみせます。

その年の5月には「天才スケート少年」として羽生結弦選手の特番が組まれました。

そこで羽生結弦選手は年齢的に出場が可能なソチオリンピックで金メダルを取ると発言しました。

そこから、羽生結弦選手の伝説が始めりました。

ここから、羽生結弦選手のシーズン毎に分けて経歴をみていきたいと思います。

〈2007~2008〉

中学1年生(ノービス選手)ながら全日本ジュニア選手権で3位になった羽生結弦選手。

日本男子として史上初となるノービス選手の全日本ジュニア選手権表彰台となりました。

〈2008~2009〉

このシーズンからジュニアに上がった羽生結弦選手。

全日本ジュニア選手権で初優勝を飾ると、初出場の全日本選手権では出場選手中最年少で8位。

世界ジュニア選手権にも出場し大会最年少で12位という成績をおさめました。

〈2009~2010〉

このシーズン初戦でJGPトルン杯で初優勝に輝いた羽生結弦選手はクロアチア杯でも優勝を飾ります。

そしてJGPファイナルに出場した羽生結弦選手は史上最年少「14歳」とい若さで総合優勝に輝きました。

全日本ジュニア選手権では2連覇を達成し、世界ジュニア選手権ではフリーでパーソナルベストを更新し優勝。

高橋大輔選手・織田信成選手・小塚崇彦選手に続く4人目の快挙

日本人男子としても初となる中学生での世界ジュニアチャンピオンに輝きました。

〈2010~2011〉

シニアデビュー戦となったISUグランプリシリーズNHK杯で自身初となる4回転トウループを決め4位になりました。

四大陸選手権の代表のも選出され、初出場で銀メダルを獲得。

男子選手として四大陸選手権史上最年少メダリストに輝きました。

しかし、3月11日に東日本大地震が発生し練習中だった羽生結弦選手も四つん這いになりながら避難。

自宅も大きな被害を受けてしまい避難所で4日間過ごされました。

「もうスケートなんてやってる場合じゃない」と考えていた羽生結弦選手。

しかし、ボランティアをしながら春の選抜に出場した東北高校野球部の姿に心動かされた羽生結弦選手はスケート意欲を取り戻しました。

羽生結弦選手は復興支援目的のアイスショーへ出演し各地を転々としながら練習を続けて行きました。

〈2011~2012〉

2011~2012年シーズンではネーベルホルン杯やロステレコム杯などで優勝を飾りISUグランプリファイナル進出を決めます。

全日本選手権では総合3位に輝き自身初となる世界選手権代表に選出。

世界選手権では巻き返しもあり総合3位という成績を残し初出場で銅メダルに輝きました。

17歳3ヶ月でのワールドメダリストとなった羽生結弦選手は日本男子史上最年少記録となりました。

〈2012~2013〉

2012年4月にブライアン・オーサーコーチに変更した羽生結弦選手。

この年の夏からはオーサーコーチの指導拠点「クリケット・クラブ」のあるカナダ・トロントに渡りました。

オーサーコーチの指導で4回転ジャンプの精度が上がったハビエル・フェルナンデス選手に着目した羽生結弦選手。

「自分の最大の武器である4回転が安定すれば、スケーティングや表現力など、ほかの部分も上達するチャンスが出てくると考えました」

と理由を語られました。

すると羽生結弦選手はフィンランディア杯で2種類の4回転を成功させて優勝。

グランプリシリーズではスケートアメリカ・NHK杯と2戦続けてショートプログラム歴代最高得点を更新。

グランプリファイナルでは2位となり、全日本選手権では初優勝を飾りました。

四大陸選手権ではショートプログラム1位でしたが、フリーでのミスが影響し総合2位という悔しい結果となりました。

その後の大会でも体調不良や足などの故障が相次いだ羽生結弦選手。

世界フィギアスケート国別対抗戦も辞退となってしまいました。

〈2013~2014〉

羽生結弦選手はシーズン前に全日本空輸(ANA)と所属契約を結びます。

2013年グランプリファイナル、ショートでは歴代最高得点を更新し総合1位で初優勝を果たします。

全日本選手権で2連覇を果たした羽生結弦選手はオリンピック代表に初選出

2014年2月に開催されたソチオリンピック。

男子シングル個人種目のショートプログラムで101.45点という公式大会世界最高得点となる史上初の100点越えで首位にたちました。

しかし、フリーの演技では不本意な演技となり優勝は無理かなと試合後のインタビューで語った羽生結弦選手。

羽生結弦選手も諦めかけていましたが、後続の選手が得点を伸ばすことができず

「アジア人初となる冬季オリンピック金メダル」

を獲得しました。

19歳65日という若さで金メダリストになった羽生結弦選手は史上2番目の年少記録に輝きました。

また、66年ぶり2人目の10代での金メダリストに輝いた羽生結弦選手。

ソチオリンピックでは日本人唯一の金メダル、平成生まれの日本人史上初となる金メダル獲得。

試合後のインタビューでは東日本大地震について質問を受けた羽生結弦選手は

金メダルをとったからといって、復興に直接つながるわけではない

しかし、金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして、復興のためにできることがあるんじゃないかと今は思っています

と故郷への感謝を口にしました。

オリンピック優勝だけにとどまらない羽生結弦選手は2014年3月に行われた世界選手権でも優勝を飾りました。

GPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権と3冠を達成。

男女シングルを通じて史上2人目の快挙を達成しました。

〈2014~2015〉

オリンピックチャンピオンとして臨んだシーズンでしたが度重なるアクシデンとが羽生結弦選手を苦しめます。

練習中に衝突事故などがあり全治2~3週間と診断を受けたりしました。

次戦のNHK杯では開催直前まで出場の可否が検討されていた羽生結弦選手。

しかし、最終的に出場した羽生結弦選手は総合4位に入りグランプリファイナルに進出。

事故を乗り越えて見事に日本男子初の大会2連覇を成し遂げました。

〈2015~2016〉

このシーズンでは映画「陰陽師」のサウンドトラックを用いて和の表現に挑んだ羽生結弦選手。

NHK杯では「挑戦という意味を込めた」と自己最高難易度の構成に変更した羽生結弦選手。

ノーミスの演技で自身が記録した世界最高得点を更新した羽生結弦選手は翌日のフリーで進化を見せます。

計3本の4回転ジャンプとその他のジャンプを全て成功させた羽生結弦選手。

史上初200点台を記録し、トータルスコアでも史上初の300点台「322.40点」を記録。

パトリック・チャン選手が保持していた世界最高得点を大幅に塗り替えました。

この大会でショート・フリー・トータル全スコアで世界記録を更新する大偉業を達成しました。

また、2週間後にバルセロナで行われたグランプリファイナルショートプログラムで再び世界記録を塗り替えました。

フリーでも完璧な演技を披露した羽生結弦選手は再び全ての世界記録を更新する快挙を成し遂げました。

全日本選手権でも記録更新に期待がかかりましたが、フリーでの転倒が響き世界記録更新とはなりませんでした。

しかし、2位に20点差近い差をつけ男子史上29年ぶりとなる全日本選手権4連覇を達成。

〈2016~2017〉

怪我のリハビリを終えた羽生結弦選手は6本の4回転ジャンプを組み込む高難易度プログラムに挑みます。

今シーズン初戦のオータムクラシックでISU公認大会史上初の4回転ループを2度成功させる快挙を達成し優勝。

優勝を飾ったものの不本意な結果に終わったと試合後にコメントを残し雪辱を誓った羽生結弦選手。

NHK杯では今季世界最高得点となる総合301.47点で優勝を飾りグランプリファイナルに進出しました。

12月に行われたグランプリファイナルでは史上初となる4連覇を成し遂げた羽生結弦選手。

結果を喜ぶ一方でノーミスで演技ができなかったと悔しさを口にしました。

続く全日本選手権では5連覇をかけて臨む予定でしたがインフルエンザにより出場を欠場。

復帰戦となる四大陸選手権では、フリー1位の結果を残すもショート1位選手に届かず2位という結果に終わってしまいました。

3月にヘルシンキで開催された世界選手権では史上初となるショート5位からの逆転優勝を飾りました。

2度目の世界選手権制覇となり自身としては3年ぶりに世界王者の座を奪還しました。

4月にはシーズン最終戦として世界国別対抗戦に出場し、日本はポイント合計で総合1位に輝きました。

「自分がしたいスケートをしっかりやって、また一歩ずつ進んでいければ」

と来シーズンへのコメントを残されました。

〈2017~2018〉

オリンピックシーズンである2017~2018年。

グランプリシリーズ初戦のロステレコム杯に出場した羽生結弦選手は、フリーで自身初挑戦となる4回転ルッツを成功

しかし、合計で首位に3点届かず2位に終わった羽生結弦選手は6年連続でGPシリーズ初戦優勝を逃します。

次戦でNHK杯を予定していましたが、公式練習中に転倒し負傷。

史上初5連覇のかかるグランプリファイナルは欠場となってしまいます。

全日本選手権も欠場しオリンピック出場が怪しまれていました。

しかし、回復が間に合う見込みがあり、現世界ランキング1位であることから平昌オリンピック代表に選出

回復優先のため四大陸選手権も回避し、平昌オリンピック団体戦出場も回避。

現地に入った羽生結弦選手は慎重に調整を続け個人戦に臨んだ羽生結弦選手。

2月16日ショートプログラムでは全てのジャンプを完璧に決め首位に立ちます。

翌日のフリーではミスが出てしまうものの2位以下を10点以上つけた羽生結弦選手。

ソチオリンピックに続き2大会連続で金メダルに輝き66年ぶりとなる連覇を達成。

歴史に名を刻んだ羽生結弦選手は、6月1日に国民栄誉賞の授与が発表されました。

受賞後は

この賞と、皆様の期待とともに、これからも進んでいきたい

と語られました。

〈2018~2019〉

2018年9月にオリンピック以来の復帰戦オータムクラシックに出場。

ショートではミス、フリーでは転倒といったミスが出るも合計点で優勝を飾った羽生結弦選手。

しかし、悔しい結果に終わり次戦までに「最短で強くなりたい」とコメントを残し向かえた11月。

グランプリシリーズ第3戦フィンランド大会で今季最高得点を記録して見事優勝を飾りました。

オリンピック2連覇の絶対王者が圧巻の演技をみせてくれました。

シーズンは始まったばかりの羽生結弦選手の今後の活躍からは目が離せません。

羽生結弦スケート技術からみる特徴とは⁉︎

オリンピック2連覇を達成した羽生結弦選手のスケートの技術と特徴をみていきたいと思います。

羽生結弦選手は

「ジャンプ・スピン・ステップ」

全方位に秀でたオールラウンダーの選手です。

ジャンプでは踏み切りから着氷後の流れまで跳び幅があり加点を加える8つの評価要素を兼ね備えています。

4種類の4回転ジャンプを跳ぶ羽生結弦選手ですが、一番の武器は確実に加点がつくトリプルアクセル。

ジャンプへの入り方・出方だけで確実に加点を稼ぐことができます。

高難易度のジャンプと確実に加点を獲得できるのが大きな武器となっています。

スピンの技術も非常に高く、レベルを完璧にすることでジャンプ同様高い加点を獲得。

また、回転しながら指先・腕を動かしオリジナリティーを出すことで構成難易度をあげる工夫も武器です。

柔軟性・高さも羽生結弦選手が演技をする上での大きな武器となっています。

羽生結弦両親の職業・離婚説の真相

次に羽生結弦選手の両親について職業などをみていきたいと思います。

また、離婚と噂されている真相もみていきましょう。

羽生結弦選手の両親・ご家族は仙台市に住まれています。

父親・羽生秀利さんは中学校の教頭先生をされています。

母親・羽生由美さんは専業主婦として家族を支えられています。

特に母親・由美さんは羽生結弦選手をしっかりと支えています。

両親が離婚していると噂がされている羽生結弦選手の両親。

しかし、実際には離婚はされていません。

羽生結弦選手を守るためにとった両親の行動、メディアには極力出ないといったことが離婚の噂の真相ではと言われています。

羽生結弦選手を家族一丸となって応援・サポートされているだけに離婚は考えられないと思います。

頑張っているのは羽生結弦選手本人であり、親は関係ないというとても謙虚な両親です。

その家族の支えに応え活躍される羽生結弦選手も凄いですね。

羽生結弦ブログ ポプラとは一体?

羽生結弦選手の応援ブログ・ポプラさんとは一体どんな人なのか気になったのでみていきたいと思います。

羽生結弦選手の活躍もあり最近人気を集めている人気ブログ運営者・ポプラさん。

ポプラさんはアダム・クーパーさんやカルロス・アコスタさんといったバレエダンサーが好きな方みたいです。

バレエダンサーの他にもアートやフィギアスケートなど様々な芸術も好きな人物です。

最近では羽生結弦選手の応援記事が中心のポプラさん。

更新される記事はどれも2000字を超えている記事が多いみたいです。

内容もしっかり詰め込まれていて、読み進めると背景が浮かんでくる記事内容。

海外での大会が多いフィギアスケート。

英語を和訳し自分の言葉になおして書いてくれるとても優しい方みたいですね。

皆さんもアメーバブログで羽生結弦選手の応援ブログでポプラさんのブログを読んでみませんか⁉︎

記事下1




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする