「ゴジラ」という愛称で数々の伝説や記録を残してきた松井秀喜さん。
野球界を代表する長距離打者として高校時代からプロに入ってからも多くの人に注目されてきました。
日本だけでなくメジャーに行ってからも様々な伝説をつくり引退された松井秀喜さん。
そんな松井秀喜さんの現在の仕事と年収について気になったのでみていきたいと思います。
また、甲子園~メジャーまでの様々な伝説も振り返っていきましょう。
松井秀喜 メジャー級の経歴
松井秀喜(まつい ひでき)
- 【生年月日】1974年6月12日(44歳)
- 【出身】石川県能美市
- 【身長/体重】188cm/95kg
- 【投打】右投左打
- 【ポジション】外野手
- 【ドラフト】1992年ドラフト1巡目
- 【初出場】(NPB)1993年5月1日(MLB)2003年3月31日
【タイトル:NPB】
- 首位打者1回(2001)
- 本塁打王3回(1998・2000・2002)
- 打点王3回(1998・2000・2002)
- 最高出塁率3回(1998・2000・2002)
【表彰:NPB】
- MVP3回(1996・2000・2002)
- ベストナイン8回(1995~2002)
- ゴールデングラブ賞3回(2000~2002)
【表彰:MLB】
- ワールドシリーズMVP1回(2009)
【野球殿堂】
- 2018年:プレーヤー部門
【経歴】
- 星稜高等学校→読売ジャイアンツ(1993~2002)→ニューヨーク・ヤンキース(2003~2009)→ロサンゼルス・エンゼルス(2010)→オークランド・アスレチックス(2011)→タンパベイ・レイズ(2012)
1974年6月12日に司教の父・昌雄さんと母・さえ子さんの二男として生まれた松井秀喜さん。
生まれた時の体重は3,960グラムというとても大きな赤ちゃんでした。
根上町浜小学校1年生の時に3年生以上で構成されている「根上少年野球クラブ」に特別入団するも辞めてしまいます。
しかし、3歳年上の兄の影響で5年生の夏休みに再び入部し松井秀喜さんの野球人生がスタートしました。
元々右打ちだった松井秀喜さんですが、遊びの野球などで飛ばしすぎることが理由で左打ちになり「左打者・松井秀喜」が誕生しました。
能美市立根上中学に進学した松井秀喜さんは捕手として活躍し、通算打率も6割を超える強打者になりました。
星稜高校野球部監督・山下智茂さんからも熱烈な勧誘もあり松井秀喜さんは星稜高等学校に進学。
高校1年から4番を務め「北陸の怪童」として注目をあびていきました。
高校3年春の選抜ではラッキーゾーンが撤去されるものの
「僕には関係ありません」
と言葉を残し、開幕戦で2打席連続ホームランを放ちます。
そして高校3年夏の甲子園では誰もが知る伝説を残します。
2回戦で明徳義塾高校と対戦した星稜高等学校。
この試合で松井秀喜さんは「5打席連続敬遠」を受け社会問題にもなりました。
ドラフトの目玉となった松井秀喜さんは4球団から指名を受け抽選の結果、読売ジャイアンツへの入団が決定。
プロ初となるキャンプでは150m級の打球を飛ばし多くの人を驚かせました。
開幕は二軍で迎えた松井秀喜さんでしたが5月には一軍デビューとなり初安打・初打点を記録。
翌日の試合では高津臣吾投手からプロ初ホームランを放ちました。
1994年には日本一にも輝き2年目で20本塁打を記録。
1995年にはベストナインに輝き、翌年には入団4年目で1億円プレーヤーとなりました。
1997年には清原和博選手がFA権を取得し巨人に入団。
「MK砲」と呼ばれ注目をあびました。
1998年には34本塁打を放ち初の本塁打王・打点王・最高出塁率のタイトルを手にしました。
2002年には「日本一」「三冠王」を目標に10年目をスタートした松井秀喜さんはFA権を取得しました。
三冠王とはなりませんでしたが、本塁打王・打点王・最高出塁率を獲得しシーズンMVPにも輝きました。
シーズン終了後にニューヨーク・ヤンキースが松井秀喜さんの獲得を狙っていると報道が流るます。
日本シリーズをストレート勝ちで西武を下し日本一に輝きました。
そして松井秀喜さんは11月1日にFA権を行使しMLBへの挑戦を発表しました。
2002年12月19日にニューヨーク・ヤンキースと当時総額25億4100万円の3年契約を結び注目をあびました。
4月8日の開幕戦ではメジャー初ホームランとなる満塁ホームランを放ちメジャーで鮮烈デビューを飾りました。
その後もオールスターに選出されるなど活躍。
2009年にはヤンキース1年目以来のワールドシリーズに進んだ松井秀喜さんは少ない出番でも成績を残します。
前年王者のフィリーズ相手にヒット・ホームランを打つ活躍をみせた松井秀喜さんはワールドシリーズMVPに輝きました。
しかし、その年の11月9日にFAとなりヤンキースは松井秀喜さんと残留交渉はおこないませんでした。
2009年12月16日にロサンゼルス・エンゼルスと契約を結び2010年のシーズンに望みました。
序盤は成績をあげるものの後半戦になると「戦力外となる可能性も」と報道が出るようになります。
シーズン終了後には契約満了日を迎え契約を結ばないことをエンゼルスは時発表。
その後は、アスレチックス・レイズと契約を結んでいきましたが出場機会も減り2012年12月27日に引退を表明されました。
松井秀喜さんの引退は多くのファンから引退を惜しむ声が相次ぎました。
引退後は国民栄誉賞を長嶋茂雄さんと共に受賞。
その後は読売ジャイアンツの臨時コーチを務めたり、チャリティーイベントに参加するなど活躍されました。
2015年3月11日にはヤンキースGM特別アドバイザーに就任した松井秀喜さん。
1年間の契約でしたがその後も継続し活躍されています。
2018年には野球殿堂入りを果たし、第100回全国高等学校野球選手権記念大会では始球式も務められました。
数々の伝説・記録を残してきた松井秀喜さんの伝説はまだ続いています。
松井秀喜現在の仕事と年収とは⁉︎
次にジャイアンツ・ヤンキースで活躍されてきた松井秀喜さんの現在の仕事と年収についてみていきたいと思います。
松井秀喜さんは現在「ヤンキースGM特別アドバイザー」という仕事をされています。
GM(ゼネラルマネジャー)とは球団の決定権を持っている人のことを言います。
仕事の具体的な内容としては、ニューヨーク・ヤンキース傘下であるマイナーリーグでの仕事になります。
将来有望な選手のリサーチや直接選手を指導したりもしています。
現在の年収に関しては発表などされていませんが、MLBの相場では4000~5000万程度みたいですね。
ヤンキース退団前には年俸13億円をもらっていた松井秀喜さんですので相場より高いかもしれませんね。
松井秀喜甲子園~メジャーまでの伝説とは⁉︎
最後に松井秀喜さんの甲子園~メジャーまでの間で残された伝説についてみていきましょう。
【5打席連続敬遠】
高校3年生の夏の甲子園での出来事でした。
2回戦・明徳義塾高校戦で5打席連続敬遠をされました。
ランナー・アウトカウント一切関係なく敬遠された松井秀喜さん。
1度もバットを振ることなく甲子園を後にし社会問題にもなりました。
【当時プロ野球史上最高年俸6億1000万円】
2001年シーズンオフの契約更改では当時プロ野球史上最高年俸となる6億1000万円で単年契約を結ばれました。
FA権獲得が迫っていた松井秀喜さんに球団側は5年総額50億円の超大型複数年契約を提示しました。
しかし、メジャーへの挑戦を考えていた松井秀喜さんは長期での契約を断りました。
その後、松井秀喜さんはFA権を行使してヤンキースに入団されました。
【メジャー開幕戦での満塁ホームラン】
4月8日に本拠地であるヤンキー・スタジアム開幕戦でメジャー初ホームランとなる満塁ホームランを放ちました。
ヤンキース史上初の快挙となり衝撃的なメジャーデビューとなりました。
【ワールドシリーズMVP】
2009年ポストシーズンに「5番・指名打者」として出場すると、松井秀喜さんは大活躍をみせます。
第2戦では決勝ホームラン、第3戦では2本のホームランを放ちます。
そして王手をかけた第6戦ではホームラン、ヒット、二塁打を打ち1試合6打点の大活躍。
ヤンキー・スタジアムのファンからは「MVP」の大歓声が飛び交いました。
松井秀喜さんの活躍もありヤンキースは9年ぶりの世界一に輝きました。
そして松井秀喜さんも打率6割を超える成績を残しワールドシリーズMVPに輝きました。
このように松井秀喜さんは様々な伝説を残されています。
今みてきたのはごく一部の伝説にすぎません。
数々の伝説を残し、多くの人に夢や感動を与えてくれた松井秀喜さんの伝説はまだ続いています。
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