長谷部誠の嫁佐藤ありさとの結婚式とは⁉︎元カノ本田朋子破局理由は

スポーツ

元日本代表キャプテンであり日本サッカー界を盛り上げてくれた長谷部誠選手。

日本代表を引退表明されましたが、現在も海外でプレーを続けられています。

今回は日本代表のキャプテンとしてチームを引っ張ってくれていた長谷部誠選手についてみていきたいと思います。

佐藤ありささんとの馴れ初めや結婚式についてもみていきましょう。

また、元カノであるフリーアナウンサー・本田朋子さんとの破局理由についても迫っていきたいと思います。

 




長谷部誠 プロフィール

長谷部誠(はせべ まこと)

  • 【生年月日】1984年1月18日(34歳)
  • 【出身】静岡県藤枝市
  • 【身長/体重】180cm/73kg
  • 【在籍チーク】アイントラハト・フランクフルト
  • 【ポジション】MF/DF
  • 【利き足】右足

【個人タイトル】

  • Jリーグベストイレブン(2004)
  • Jリーグ優秀選手賞(2004・2005・2006・2007)
  • Jリーグカップニューヒーロー賞(2004)
  • アジア国際最優秀選手賞(2018)
  • 藤枝市民栄誉賞(2018)

【クラブ経歴】

  • 浦和レッズ(2002~2007)
  • ヴォルフスブルク(2008~2013)
  • ニュルンベルク(2013~2014)
  • フランクフルト(2014~)

【経歴】

3歳の時にサッカーアニメ・キャプテン翼の大空翼に憧れ、長谷部誠選手のサッカー人生が始まりました。

藤枝市立青島東小学校・藤枝市立青島中学校卒業後に、静岡県の名門・藤枝高校に進学。

高校2年生の終わり頃からレギュラーとしてプレーしていた長谷部誠さん。

高校卒業後の進路として長谷部誠選手は静岡県内のプロクラブへの加入を望んでいました。

しかし、U-18日本代表選出・全国高校総体準優勝の経歴はありましたが、全国高校サッカー選手権には出場していませんでした。

その結果、静岡県内の清水エスパルス・ジュビロ磐田の2クラブからはオファーはありませんでした。

しかし、県選抜でのプレーを見ていた浦和レッズスカウトから勧誘を受け加入を決意。

 

藤枝高校卒業と同時に浦和レッズに加入した長谷部誠選手でしたが、1年目のシーズンはほとんど出場機会がありませんでした。

しかし、2年目シーズンではトップ下やボランチとして出場機会を得ると、2004年シーズンには鈴木啓太選手とダブルボランチを組み2ndステージ優勝に貢献。

この年に長谷部誠選手は「Jリーグ・ベストイレブン」「ナビスコカップ・ニューヒーロー賞」を獲得しました。

2005年から2007年までのシーズンにおいてもレギュラーの座を掴みJ1優勝・AFCチャンピオンズリーグ優勝などチームに貢献。

2005年には日本代表に初招集されるも2006年W杯メンバーからは外れてしまった長谷部誠選手。

その後も日本代表に選出されますが出場機会はあまりありませんでした。

 

そして、2008年1月にドイツ・ブンデスリーガ「VfLヴォルフスブルクに移籍が決まり、4月27日のレバークーゼン戦で初得点を記録しました。

2008-2009シーズンには優勝争いにも加わり31年ぶりにブンデスリーガ優勝を経験した日本人選手の1人になりました。

その後もUEFAチャンピオンズリーグに日本人選手5人目となる出場を果たし活躍をみせました。

また、2009年には南アフリカワールドカップ・アジア最終予選で4大会連続4度目となるW杯出場権を手にしました。

2010年に南アフリカで開催されたFIFAワールドカップでは代表に選出されキャプテンとしてチームを引っ張った長谷部誠選手。

グループリーグ3試合と決勝トーナメント1回戦に先発出場。

日本代表のベスト16入りに大きく貢献し、日本中を盛り上げてくれました。

2013-2014シーズンには1.FCニュルンベルクへの移籍が決まり長谷部誠選手には大きな期待がかかりました。

しかし、チームは前半戦未勝利となり2部へ降格が決定。

2014年6月からアイントラハト・フランクフルトと2年契約を結んだ長谷部誠選手。

移籍後は自身として最多となるブンデスリーガ33試合に出場しチームの勝利に貢献。

2016-2017シーズンには奥寺康彦さんが保持していたブンデスリーガ日本人最多出場記録を更新する快挙を達成。

しかし、3月11日のバイエルン・ミュンヘン戦で左すね6針を縫う怪我を負ってしまい、以降の試合を欠場することとなってしまいました。

 

2017-2018シーズンは怪我や手術の影響で5ヶ月間公式戦には出場できませんでしたが、2017年8月12日に復帰。

2018年1月27日の試合では出場試合数1000試合の記録を達成。

カップ戦決勝ではバイエルン・ミュンヘンに3-1で勝利しドイツ移籍後初優勝を飾りました。

そして、2018年ロシアW杯の日本代表に選出されキャプテンとしてチームを引っ張りました。

日本代表は決勝トーナメント1回戦で敗れベスト16でW杯を終えました。

長谷部誠選手はW杯3大会で11試合に出場し、川島永嗣選手・長友佑都選手と並んで日本人最多出場を記録しました。

また長谷部誠選手は、大会後に自身のインスタグラムを通して代表引退を表明。

日本代表のキャプテンとしてチームを引っ張り戦ってきた長谷部誠選手。

日本代表は引退されましたが、今後もサッカー界を盛り上げてほしいですね。

 

長谷部誠 嫁佐藤ありさとの結婚式とは⁉︎

次に長谷部誠選手の嫁・佐藤ありささんとの結婚式や馴れ初めについてみていきたいと思います。

長谷部誠選手と佐藤ありささんは、2010年に雑誌「non-no」の対談で知り合ったそうです。

佐藤ありささんは元々スポーツが大好きで、長谷部誠選手のファンでもあったみたいですね。

雑誌の対談で意気投合された2人。

長谷部誠選手は佐藤ありささんの可愛さや性格に惚れ猛アタックされたそうです。

2012年頃から2人は遠距離恋愛という形ではありましたがお付き合いをスタート。

そして、約5年間の交際を経て、2016年7月9日にゴールイン。

2017年7月21日には自身のインスタグラムを通して第一子誕生を報告されました。

 

結婚式はドイツ・フランクフルトにある伝統的な教会で式を挙げられました。

結婚式には佐藤ありささんがモデルとして活躍されていた時代からの親友である桐谷美玲さん・大政絢さんも結婚式に出席されたそうです。

結婚式の写真は雑誌「more」に掲載されたそうです。

 

佐藤ありさプロフィール

佐藤ありさ(さとう ありさ)

  • 【生年月日】1988年9月20日
  • 【出身】北海道
  • 【所属事務所】スターダストプロモーション
  • 【デビュー】2005年

2005年にファッション雑誌「セブンティーン」のミスセブンティーン2005に選ばれデビュー。

2008年3月号では初めて単独モデルとして表紙を務め注目を集めました。

2008年にはテレビドラマ「LOVE17」に初出演・初主演を果たし、2010年からファッション雑誌「non-no」の専属モデルとなりました。

その後、「non-no」は卒業され雑誌「MORE」を中心に活動されています。

 

長谷部誠元カノ本田朋子との破局理由は

最後に元カノである本田朋子さんとの破局理由についてみていきましょう。

本田朋子さんと言えばバスケット界のイケメン選手である五十嵐圭選手と2013年に結婚されています。

しかし、五十嵐圭選手と付き合うまでは長谷部誠選手とお付き合いをされていました。

 

2010年に2人は破局されたそうですが、4年近く2人は付き合っていたそうです。

2人の破局理由として挙げられているのは、本田朋子さんの執拗な性格が原因だと言われています。

長谷部誠選手と本田朋子さんは当時、前監督・岡田武史さんを招いて食事会を開かれたそうです。

結婚報告ではありませんでしたが、本田朋子さんがその気になってしまい執拗に結婚を迫ったとい噂もあります。

しかし、長谷部誠選手にはまだ結婚願望はなかったことから2人には亀裂ができてしまい破局に至ったと言われています。

2人の考え方の違いによる破局となりましたが、現在は2人とも幸せな家庭を築かれていますね。

 

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